父滅の刃を読んで

樺沢先生が父性について書いた本が出版されました。「そもそも父性って何だろう。」父性について理解を深めたく本を手に取りました。


著者である樺沢紫苑先生は、1965年、札幌北海道生まれ。札幌医科大学医学部卒業後、同大神経精神医学講座に入局。大学病院、総合病院、単科精神病院など北海道内の8病院に勤務。2004年から米国シカゴのイリノイ大学に3年間留学。帰国後、樺沢心理学研究所を設立。YOUTUBE20万人、Facebook15万人など累計50万人以上のフォロワーを持ちインターネット媒体を駆使し、メンタル疾患の予防を目的に、精神医学、心理学の知識や情報を分かりやすく発信されている方です。


2020年。新型コロナウイルスをめぐる大きな危機に直面し、多くの日本人がどのように生きていくのか迷いの渦中にいます。不安は時代の変化によって起きるものではなく、「父性消滅」による要因が大きい。「父滅の刃」はこのような時代に生きる私たちが、これからどう生きていくのが良いか「父性」をテーマにして描かれた作品です。


今回は「父滅の刃」を読み終え、私の体験をふまえながら感じたことを、大きく分けて3つに分けていきます。


・ まず一つ目は父性について。


父性とは、「父さんのようになりたい。」敬意、畏敬の念と共に「父性」を感じることを示す。この一文を見つけたとき、幼いころの記憶が蘇りました。私の趣味は、筋力トレーニングです。筋力トレーニング歴は、約20年になります。今では[ベンチプレス120キロ][バーベルスクワット120キロ]を持ち上げることができます。そんな私が身体を鍛えるきっかけになったきっかけがあります。それは、小学校時代に受けたいじめです。当時は、力が弱く、女子にも負けてしまうくらいでした。なぜ私がいじめを受けたのか?
私の頭は67cmあります。これだけ聞くと、どれくらい大きいのか理解することが出来ない方もいると思います。では、具体的にお伝えします。皆さん元巨人軍の松井秀喜選手はご存知でしょうか?
松井秀喜選手は、野球界で頭の大きい選手としても有名な方です。その松井選手は
「64cm」あります。私の頭は「67cm」どれくらい大きいのかイメージがわく方もいるかもしれません。その「頭の大きさ」が原因でした。ある日、家で私が友達と遊んでいた時の事。ふざけているようで、イジメられていました。苦しんでいる私。そこへ父の一言。「うちの息子に手を出すのか。文句があるなら俺に言え。」と言ってくれたのです。私の父は、元陸上自衛隊レンジャー部隊の隊長をしていた人です。父の背中を見て、私は思ったことがあります。それは「男は、力が強ければ何でもできる。」と。力強さへの憧れが、私に身体を鍛えるきっかけを与えてくれました。そのお陰もあり、小学校でイジメられていた私が、当時1000人を超える中学校で「腕相撲」では負けない体を手に入れたのです。しかし、そんな力を手に入れた私を、父は受け入れてくれませんでした。なぜ受け入れてくれないのか理解できずにいました。それから、私の父へ認めてくれない気持ちに怒りが湧きあがりました。夜な夜なバイクを乗り回す日々。悪い道へ転げるのに、そんなに月日はかかりませんでした。


・ 二つ目に母性について。

 

母性とは、子供の欲求を受け止め、満たして子供を包み込んでいくことを指す。


私に母性を教えてくれたのは、今はもう亡き祖母です。私の家族は夫婦共働きの家庭でした。学校が終わると、いつも祖母が母親代わり。祖母から見ても、初孫で溺愛され育ちました。バイクに乗り、夜な夜な出歩く日々を過ごした私にも、態度を変えず、いつも優しさを与えてくれていました。そんな祖母に異変が起こりました。今から8年前の事。その頃の私は、結婚式も控え、祖母も心待ちにしてくれていました。無事に結婚式をおえ、新婚旅行を明日に控えていた夕方。母親から一本の電話がありました。電話に出ると、母から告げられた一言。「おばあちゃんが危ない。検査をしても思わしくない。」「下手をすると、一週間ももたない。」との事。頭が真っ白になる私。どうして良いか分からずも妻に相談しました。
「旅行はいつでも行けるから、今は、おばあちゃんの所へ行ってあげてと」妻の一言に、私は決断することが出来ました。妻に謝り、祖母が待つ病院へ行きました。個室のICUに案内されました。話を聞くと、祖母は食事も喉を通すことが出来ません。看護師さんからも、覚悟を決めるように求められました。しかし、私は、あきらめません。あきらめたくなかった。祖母の命を絶対に救うのだ。その思いだけでした。
全身がむくみ、手足もパンパンに膨れ上がっていた祖母の身体。なんとか祖母と話をすることが出来ました。話を聞いてみると、「足が痛くて、痛くて、眠れない。さすってほしい。」と頼まれました。今まで生きてきて初めての祖母からのお願い事でした。優しさを教えてくれた祖母の願い。今自分が出来ること。それは、祖母の足をさすることでした。「助かってほしい。俺が助ける。」「今まで祖母が与えてくれた愛情」「今度は、俺が返す番」だと必死にさすりました。すると、その甲斐があったのか、薬の効果が効いたのか。どちらが効いたのか分かりませんが、奇跡が訪れました。それは、看護師さんから告げられた一言。「お孫さんの看病もあり、明日手術することが出来るかもしれない。」「もしかすると、退院することも出来るかもしれない」一筋の光が見えました。さっそく祖母にも伝えました。「もしかしたら、助かるかもしれない。」そんな喜びの気持ちに包まれました。祖母と明日の検査の無事を祈り、はじめて指切りを交わしました。変わり果てた祖母の指。しかし、その指は力強く、私にも勇気を与えてくれました。明日の手術の無事を祈りました。しかし、その夢は叶いませんでした。次の日、祖母は旅立ってしまいました。
祖母の最期を看取ることが出来ませんでした。


・ 三つ目は、父性は血のつながりは関係ないことについて。


実の父親に父性を感じることが出来ないとき。このようになりたいと思える人物でもよいこと。それを踏まえ、私のエピソードを交えて、お伝えしていきます。


身体を鍛えても、自分を認めてくれない父。
母性を教えてくれた祖母の死。そんな私がとった次の行動。それは、仕事を頑張ることでした。祖母の死を経験し、感情を捨てることにしました。いつまでも悲しんでいては、祖母も成仏することが出来ない。力で認めてもらえないのなら、仕事でキャリアを積むことで認めてもらえるかもしれない。そんな思いから、仕事に明け暮れるようにしました。私の父は、元陸上自衛隊のレンジャー部隊の隊長。キャリアも約束されていたのに長男ということで家を守るため退官。地元に戻り、消防署の職員として転職。ノンキャリアながら、定年を迎えるころには、160人以上の部下を束ねる人でした。そんな父の背中にも強いあこがれを抱いていました。私は、来る日も来る日も仕事が終わると資格取得の勉強やビジネス書を読み漁りました。組織に認めてもらうには、資格取得やチームリーダーとして実績を上げないといけないと思い込んでいました。しかし、現実はうまく変わりません。当時若かった私。努力しているのに、結果が出ない毎日。精神的にも追い詰められ「イライラ」する日々。そんな中、私に病が襲いかかってきました。それが「うつ病」です。
私の妻は、薬剤師をしています。薬の専門家で、私と共に病を乗り越えてきたパートナーでもあります。妻から言われた一言。「薬で治せる病もあるけれど、薬は対処療法でしかない。原因を突き止めることが大切。」私自身も薬で抑えるより、きちんと完治したい思いがありました。生活習慣の改善はもちろん。玄米菜食が良いと言われれば実践。陶板浴が良いと聞けば、週2日実践。酵素ドリンクを使ったファスティングが良いと聞けば、5日間の断食×3回。とにかく病を治したい思いで、必死に実践。藁をもつかむ思いでした。しかし、なかなか治らないうつ病。今回ばかりは夫婦ともどもあきらめムードが漂いました。そんな中、妻からの一言。「この先生の動画は理解しやすい。医学的にもきちんとした事を教えてくれている」「試してみたら」と言われたのです。その動画で説明してくれた先生が、まさに樺沢先生でした。樺沢先生は動画の中で、「病気の予防には、睡眠・運動・朝散歩が大切」と教えてくれました。
さっそく翌日から実践することにしました。
まず初めに取り組んだのが「朝散歩」です。独学ですが、私は20年間筋力トレーニングを続けてきたので、身体を動かすことには自信がありました。しかし、ものの見事に崩れ去りました。30分はおろか、5分歩くのがやっと。家の周りをあるくのが精一杯。一瞬何が起きたのか理解することが出来ずにいました。今振り返ると理由は明白。ベットから起き上がれず寝たきりの生活を半年以上も続けていたのです。「元気だったころの自分に戻りたい。」「人生をあきらめたくない。」そんな思いで必死でした。初めは5分歩くのがやっとでした。しかし、あきらめずに歩く練習をしました。その甲斐もあり、今では「毎朝30分の朝散歩・週3日の有酸素運動・7時間以上の睡眠」を実践することが出来るようになれました。今こうして元気を取り戻すことが出来ているのも樺沢先生のおかげです。奇跡の連続のような本当の話。健康になるビジョンを教えてくれた樺沢先生。血のつながりはないけれど、「樺沢先生のようになりたい。」と私が父性を感じた瞬間でした。


さいごに


父性とは、私が思い描いていた力強さだけのものではないことを理解できました。父親としての力強さ、母親の包み込みやさしさ両方のバランスを兼ね備えることが大切だと思いました。幸い私の父親は今も元気に暮らしています。私も今では心身共に元気になりました。父親に今までの胸の内をつつみ隠さず伝えました。「力強さを兼ね備えた親から生まれ、それがコンプレックスになり、病気になってしまった事。」「父親の背中を超えたくても越えられなかったこと。」全てを伝えました。父親からは意外な言葉が返ってきました。それは「俺の人生とお前の人生は違う。お前の好きなことをやって生きろ」そう言われたのです。今まで父親の背中を超えたくて、もがき苦しみました。しかし、全て自分が勝手に抱いていた幻想にすぎませんでした。「どうしてもっと早く話し合えなかったのだろう。もっと自分の気持ちを素直に伝えていれば良かった」そのような思いで、胸がいっぱいになりました。それから私は、父親の気持ちを理解することができ、心から「和解」することが出来ました。今では父親と残された時間を楽しめるようになれました。


私には、男の子の子供がいます。「父親から受け継いだ力強さ」「祖母がくれた優しさ」を心がけ、子供と向き合っています。

 

夫婦二人三脚で乗り越えてきた闘病体験。


たくさんの気づきを与えてくれた「父滅の刃」。


本当にありがとう。


生かされた命を大切にして、病で苦しむ方の力に!


人生を変えてくれた一冊です。